コロナ禍の過ごし方について学生と雑談をしていたとき,学生Aが興味深い取り組みを語ってくれた.Aさんは大切な人Bさんと手紙を始めたそうだ.なお,Aさんは普段手紙は書かない.手紙を書くのも久方ぶりであるとのこと.AさんとBさんは,緊急事態宣言下で会えないほど遠いところに住んでいるわけでもない.にもかかわらず,手紙を書くことにしたというのだ.良い取り組みだと思った.
新型コロナウィルスの問題で人との接触を避けざるを得なくなった今,コミュニケーションのために多くの人がとったアプローチは「インターネットを使ったビデオ通話」である.確かにZoomやWebEx,あるいはもっと手軽なLINE通話などは,ネットさえあればすぐに起動し,リアルタイムに相手の顔を見ながら話をすることができる.対面では会えないけど,手軽に相手とコミュニケーションをとるには有力な方法だ.
一方で,この手のビデオ通話に疲れも感じてきている.ビデオ通話を使えば,手軽にミーティングができることに気づき,ホイホイと予定にミーティングが追加される.気付けば,3時間連続で6つのミーティングが入っている.目的の決まったビデオ会議は,始まりから終わりまであまり余白がない.そして,対面のコミュニケーションと比べて微妙に足りないものに引っかかりを感じる.ビデオ通話は時間的・空間的距離を縮める.直接会って話をすることができない状況を打破するために,ビデオ通話は可能な限りオフラインコミュニケーションを置き換えようとするが,かえってそれがストレスを感じさせる.
手紙はどうだろうか.届くのに時間がかかる.手紙を読むときに相手の顔が映っているわけでもない.即座に相手に返答をすることもできない.ビデオ通話より伝えられる情報は限られる.明らかに手紙は「今風」のリッチなコミュニケーションは演出できない.しかし,あえて限られたスペースに情報を詰め,あえて時間をかけてコミュニケーションをとる手紙は,1回1回のコミュニケーションを味わい深いものにしてくれる.相手からの手紙を待つ楽しみも生まれる.何を書こうかと考える楽しみも生まれる.
メールやLINE,SNSは,即座にコミュニケーションを取れて便利である.一方で,すぐに反応しないといけない強迫観念にせまられることもある.無駄なコミュニケーションも増えたような気もする,便利さ故に,使う側の精神がすり減っていることも事実である.こんな状況だからこそ,手紙をすることで,時間の使い方・感じ方をゆっくりだが味わい深いものにできるかもしれない.大切なものをより大切に感じられるようになるかもしれない.手紙のスローなインタラクションが一層素敵に思えた.