水筒の蓋

水分をこまめに取れるように水筒を購入した.ドウシシャのmoshという商品である.水筒なのに牛乳瓶のような形をしているところがなんとも愛らしい.機能としては一般的な水筒と同じく保温機能があるだけで,蓋を取って水を入れて飲む.それだけである.

機能的にも見た目的にも十分満足なのだが,一点だけ気に入らないのが「蓋に印字された文字」である.蓋のてっぺんにデカデカとびっくりマークが書かれているのだ.これさえ無ければパーフェクトだったのに…

なぜびっくりマークなのか?牛乳瓶のような姿をしているのに,手に取って開けてみるとそれは水筒だから?その驚きはびっくりマークの印字で表現しなくても,手に取った人が体験として驚けばそれで良いと思うのだけど.説明してしまったらナンセンス.短歌と同じである.

用が済んだら忘れられる存在

まわりに石っこひとつないこの場所にこんなデカい石が置かれているということは,何かを支えたり挟んだりするために誰かが持ってきたのだろう.

使い終えたら,使う前はすごく意識していたことを忘れられてしまう悲しさ.用済み切り捨て.怖いなぁ.

かん字

書店の子供コーナーで「小2 かん字」というタイトルの本を見かけた.一瞬何の本か分からなかったが,隣に「小3 漢字」という本があったので,漢字のテキストであることが分かった.

小学校2年の段階では「漢」という字を習っていないから「かん字」という表記にしたのかと思ったのだが,妻から「ここに読解っていう本があるよ」と言われ,絶句.本のタイトルは「小1 読解」である.小学校1年生は「読」も「解」も習わないであろう.ましてや,「読解」ということばを知るはずがない.「どっかい」と書かれても分からない.

学年に応じた言葉を使用するというルールが一貫していないことに違和感を感じる.漢字を「かん字」とするならば,なぜ読解は「どっかい」や「こくご」,「よむ」などにしなかったのだろうか.モヤモヤが収まらない.

謎の傷跡

職員健康診断で順番待ちをしていたときのこと.部屋の隅の上に設置されたエアコンの室内機(室外機)のようなものに,謎の傷跡がついていることに気付いた.左片側のみ傷がついている.他の箇所を見ても塗装は荒れていないので,経年劣化ではない.

傷を辿っていくと,傷がついた位置の天井に穴が空いている.穴を棒のようなものが通って,摩擦で傷がついたのだろうか.
塗装についた傷をよく観察してみると,塗装がはげていないところは塗装が若干盛り上がっている.はげている箇所は裂けたような傷になっている.このことから,この傷は外側から力がかかって付いた傷ではなさそうだ.

塗装が盛り上がった箇所の中に針金のようなものを通して,装置を吊り上げて設置しようとしたのだろうか.針金を上から塗装で固定.天井の上にクレーンの先端があって,設置場所に装置をつり上げ移動.うまく設置できたら,針金を装置からメリメリっと剥がした.

妄想は膨らんだが,確信には至らず.このお題は難しかった.

読めない地図

浜松駅近くにある,浜松市でも最も大きい部類に入るビルに行ったときのこと.目的となる建物が何処にあるかを確かめるために,ビルの入り口にある地図を見たのだが,ご覧のような有様.大きな施設では地図が重要であるにもかかわらず,なぜここまでなるまで放置してあるのか,理解に苦しむ.

文句を言っても,これしか位置を知る方法はないので,とりあえず見る.不思議なもので,なんとなく事前知識が入っていると,写真のように建物どうしの相対的な位置関係しか分からなくても,なんとなく目的地の場所と行き方が想像できる.道が消えている地図の上で道が見えるのである(笑

空間認識は頭を使う認知処理である.図形の回転,立体の認識・展開など,昔に比べて格段に空間認識能力が墜ちている気がする.頑張って考えれば脳内で地図が復元できるのであれば,たまにはあえてこういう欠損した地図を見て訓練するのもよいかもしれない(不便益みたい).

草に埋もれた杭

大学の電灯の草むらの中に,錆びた杭のようなものが埋もれていた.まとまった数の杭が向きを揃えて置かれていることを踏まえると,捨てられたわけではないようである.

ここで何があったかを思い返してみた.学期の始まりには立て看板が立っていたような気がするので,それを固定するために使われたのかもしれない.期間は空くが,立て看板は定期的に立てられるので,毎回の使用したらここに杭を置いては次回使うようにしているのだろうか.

すでに草がけっこう生えているが,夏が来ると来ると結構な量の草が生えてくる.毎年どなたかが草刈りをしてくださっているが,草刈りのタイミングでも杭が片付けられていないことを踏まえると,ここに杭を放置することはここを管理する人々にとっては公然の秘密なのかもしれない.

水が飛び散る洗面台


ホテルで洗面所に行くと時々遭遇するのが,写真のような洗面台.蛇口から注ぎ出る水に手をさらそうとすると,思ったよりも蛇口が奥側にあり,受け皿の奥の方で手を洗うことになる.結果,弾かれた水が受け皿の外側に飛び散ってしまう(というか,水を外に出してしまう).そのため,受け皿の外側に水が出ないように手を洗おうとするだが,なぜそんな努力をしないといけないのか,残念な気持ちになる.水が飛び散らないようにするためか,蛇口によってはは背が低く作られているものがあるが,蛇口の位置が遠くかつ低い場合かなり手が洗いにくい.

洗面台の設計者は,なぜこのような蛇口の配置にしたのだろうか?蛇口がもう少し内側にあれば,受け皿の内側で手を洗えるので,水が飛び散らなくてもすむ.さすがに何も考えずに洗面台を設計したわけではないだろうから,何か意図はあるのだろう.

あり得そうなのが,受け皿を広く使えるようにするため.蛇口を極力端に持ってくることで,受け皿の上で手を動かせる領域が広くなる.コップや洗濯物を洗うには,蛇口のパイプは邪魔にならない方がよいかもしれない…

仮にこの説が正しいとしたら,個人的には手の洗いやすさを重視してほしい.洗面台の使用目的はまず手を洗うことだと思うから.受け皿の使用可能領域を広げるならば,蛇口の位置を奥にするアプローチではなく,蛇口の位置を高くするアプローチもあるだろうに.もちろん蛇口の位置を高くすると,水が撥ねやすくなりそうだが,そもそも写真のような洗面台でも水を外に出してしまうのだから,蛇口の位置を最適化する余地は十分にあると思う.

リサイクルヒソター

あるモノ(もしくはコト)xが(ある観点から見て)悪い状態に陥っている際、xの関与者のxに対する認識は様々である:

  1. xが悪い状態にあることを知らない
  2. xが悪い状態にあることを知っているが、どうしたらよいのか分からない(どうすることもできない)
  3. xが悪い状態にあることを知っているが、それが悪いとは思っておらず、状態を改善させるモチベーションはない

「リサイクルヒソター」の看板をかかげてリサイクルを受け入れている方は、どういう認識でいるのだろう。周りに間違っていることを教えてあげる人はいないのだろうか。教えてあげても修正しないのだろうか。

ここまで書いて、この看板は注目を集めるためにワザとやっている可能性を思いついた。注目を集めるほど人がいない田舎でこんなことをしてもあまり意味がないだろうから、注目集めの可能性は否定できるであろう。

固定観念:押して開かない蓋

注文していた単4電池が届いた。電池は上記のようなプラスチックケースに電池が納められていた。早速使いたかったのでツメを押して蓋を開けようとするが、まったく開かない。いかにも中華製のケースである。強く押さなければ開かないのだろうと思い、ありったけの力でツメを押すが開かない。中華製という理由で開けることを諦めた。

次の日、同じ商品を入手した学生にケースを開けられたかどうかを尋ねた。なんと、開けられたようだ。開け方を尋ねたところ、爪が引っかかっているように見える四角の輪のした部分を手前側に起こすことで開けられるとのことであった。開けにくいが、確かにその方法を試してみると、四角の上辺が軸となって、四角の輪が手前に動いた。

なんというBad User Interface!! と思えるが、それ以上に自分が他の方法を試さなかったこと、ツメを押して開ける開け方以外に方法はないと思っていたことにショックを受けた。

固定概念にハマっていることに気付くのは難しい。