研究室を検討されている学生さんへ(2020年度)

今年も研究室配属の時期がやってきました.今年度はコロナ禍の影響もあり,対面で説明を行ったり質問を受けたりすることができません.後述するように,研究室は大学での学びを最大化させる上で非常に重要です.今日の状況では,対面で研究室の情報を集めることは難しいとは思いますが,この記事とオンラインでの研究室説明会でできる限りの情報を提供します.研究室選びという行為は,自分が一体何を学びたいのか,どうありたいのかを考えることでもあります.

コロナ禍によって,当たり前だと思っていた日常,社会のあり方が大きく変わっていくことでしょう.誰も答えは知りません.そういう世の中で生きる皆さんは,今後どうしていくのか.自分自身で考えるしかありません.不幸中の幸いか,今皆さんはゆっくりと物事を考える時間があります.学生の皆さんにとっては研究室選びは卒業のための通過点かもしれませんが,これを機会に「何が正しいか分からない世の中で,自分がどうありたいのか?」をじっくりこってり考えてみてはいかがでしょうか.答えがすぐに出る問題ではありませんが,考えようとすることに意味があると思います.

目次

  • 研究室選びは重要である
  • 山本祐輔が主宰する研究室のポイント
  • どんな学生が山本の研究室を希望しない方がよいか?
  • コラム1:かく言うわたしはどのように研究室を選んだのか?
  • コラム2:何を学ぶべきなのか?
  • コラム3:何のために学ぶのか?

研究室選びは重要である

毎年言い続けていることですが,研究室は授業の延長ではありません.研究室での活動こそが,大学の教育・研究・社会貢献活動の中心です.ところが,研究室によって研究教育のスタイル,生活スタイル,文化が大きく異なります.したがって,どこの研究室を選ぶかが学生の皆さんの

  • 研究室生活における精神的充実
  • 知識やスキル
  • 思考方法(知的肺活量)や人間力
  • 価値観の形成
  • 人生設計(就職先・進路の選び方)

に大きく影響します.「たかが研究室選び」と思わず真剣に考えてみてください.友達が「 XX先生の研究室は良いと思う」と言うからといって,自分もその研究室を選ぶという選び方はやめましょう.「授業が面白い」という理由で研究室を選ぶのはやめましょう.理想とする研究室の姿は,選ぶ学生(および研究室の主宰者)の価値観によって異なります.後述する視点を参考に,自分が研究室に何を求めているのかを考えてみてください.その上で,山本の研究室への配属を希望するか否かどうかを考えてみてください.

以下では山本祐輔が主宰する研究室のポイントをお伝えします.なお,(山本の研究室に限らない)研究室選びのポイントについては,「研究室を検討されている学生さんへ(2019年度)」の「研究室選びのポイント」をご確認ください.「研究室選びのポイント」は他の研究室を選ぶ際の参考にもなると思います.

山本祐輔が主宰する研究室のポイント

研究の方向性について

研究室のビジョン,ミッション,行動規範について」をご確認ください.

研究活動のキーワード

以下は,当研究室の「学問的/技術的キーワード」です.

  • 情報検索・情報推薦
  • 情報の信憑性
  • Human-computer Interaction
  • データマイニング,機械学習,統計的モデリング
  • ウェブサイエンス
  • 情報図書館学
  • ヒューリスティックとバイアス
  • 説得とヤル気の科学
  • デザイン学
  • ナッジ,不便益,仕掛学
  • 態度変容/行動変容

学生が行っている研究テーマ

卒業論文・修士論文」をご確認ください.研究の簡単な概要を知りたい場合は「研究ポートフォリオ」をご覧になるとイメージがつかめるかと思います.

なお,山本が筆頭で行っている最新の研究については,Speaker Deckもしくは個人ウェブサイトの業績リストをご覧ください.

研究活動の進め方

当研究室はがっつり研究をする研究室です.ガチです.以下ではどのように研究室活動を行っているかを記します.

研究テーマ

研究テーマは学生と相談しながら決めます.テーマ設定は学生自ら考える場合もあれば,教員から研究テーマを与える場合も可能です.いずれにせよ,簡単に達成できるようなテーマは設定しません(例:すでに誰かが行っている研究を改良し精度をUPさせるような研究).研究経験がない学生が自ら研究テーマを考えることは,かなり難しいことです.なぜなら,研究はテーマこそが命だからです.自らテーマを考える場合は,テーマが確定するまでに非常に時間がかかります.

研究室のビジョン,ミッション,行動規範について」に掲げたように,「情報技術による自動化・効率化が進む社会において,人々に気づきを与え,じっくりと情報処理を行う機会を提供する情報インタラクション技術や方法論」を行おうとしています.チャレンジングなテーマを設定し,何か新しいことを世の中に出したい,と思う方はぜひ研究室に来てください.誰もやっていないことを研究するのは大変なことですが,達成したときは充実感がありますし,研究を通じてさまざまなスキルが磨かれます.なお,山本のスタンスとして,学生がスキルを磨き研究を進めるためであれば,サポートは惜しみません.求められれば積極的にサポートします.また,結果が出なかったとしても一生懸命やっている学生は評価します.

逆に,卒業できたら何でもいいという気持ちで研究室を選んだ場合,教員・学生ともに不幸になる可能性が非常に高いです.やる気を出さない学生のやる気を引き出すために教員がコストをかけるのも辛いですし,やる気を出すようお尻を叩かれる学生も辛いと思います.できる限り,ミスマッチを減らした方がお互いのためだと思います.

定例イベント

研究活動を進めるために,当研究室では以下のような定例イベントを行っています.

  • 定例研究会:週1回,1回あたり2-3時間
  • 朝活:月から金の朝9:00-10:10.国際会議論文をみんなで読んで,その内容紹介
  • 個別ミーティング:研究を始めたばかりの学生のサポート.1週間に1回30分程度.

また,年間を通じて他大学の研究室との合同研究会や学会発表を行っています.詳しいメニューについては「ある研究室の定例イベント & 年間スケジュール」をご参照ください.なお,土日・祝日,夏休み・春休みはきっちりと休みます.

上記は研究室のメンバー全員の参加が必須のイベントです.上記以外に,学生が主体的に催している勉強会等のイベントがあります.

コアタイムについて

当研究室では,滞在時間を規定するコアタイムは設けていません.上記定例イベントさえ出席し,やるべきことをきちんとこなせば文句は言いません.また,やるべきことをきっちりすれば,研究室で何をしてもらっても構いません.

大学院(修士課程)進学について

必須ではありませんが,特段の理由がないのであれば,大学院(修士課程)へ進学を推奨します(2017年度生は6名中3人が進学.2018年度生は6名中3人が進学,2019年度生は3名が進学予定).理由は以下の通りです:

  • 卒論で取り組んだ研究をより面白く深めることができる
  • 就職先の選択肢を増やしたり,より良い就職先を見つけることができる
  • 将来やりたいことを実現するためのスキル・思考力を身につけられる

修士課程に進んだ方がよい理由については,「大学院博士前期課程(いわゆる修士課程)進学のすすめ」にその詳細を記しています.


どんな学生が当研究室を希望しない方がよいか?

これまで記した文章を読んでいただくと,当研究室は研究を割と真面目にやっている研究室,いわゆる「ガチ研究室」であることが少しは分かっていただけたかと思います.ということで,楽に卒業したい学生は当研究室への配属を希望しないことを強く推奨します.楽に卒業したいとはどういうことかが自分でも判断がつかない人は,以下の質問に答えてみてください.3つ以上の質問に「はい」と答えた学生については,当研究室では「楽に卒業したい」という人と見なします.当研究室への配属希望申請はご遠慮ください.

質問リスト

  • できるだけ研究室に来ずに済むようにしたい
  • できるだけ研究活動に時間を割きたくない(週20時間 < 3コマ×5日)
  • できるだけ頭を使いたくない
  • できるだけ簡単な研究テーマに取り組みたい
  • 手取り足取り答えを教えてほしい
  • 目標を立ててそれに向かって努力をするということをしたくない
  • 研究を進めるための勉強はできるだけ避けたい
  • 英語論文を読むのはできるだけ避けたい
  • プログラミングはできるだけ避けたい

コラム1:かく言うわたしはどのように研究室を選んだのか?

毎年研究室の選ぶポイントを語る山本ですが,僕が学部生だった頃,どのように研究室を選んだのか,その結果どうなったのかをお話ししたいと思います.

一般的な大学生の多分に漏れず(?),山本もサークル活動や遊びに没頭する普通の大学生でした.授業は出ない,テスト前にしか勉強しない,レポート課題は友人に見せてもらい,なんとか課題をこなしていました.情報系の学科に入学したのにちっともプログラミングができるようになっていない,情報系の学部であるある学生の一人でした.

研究室配属は成績が効いてくるということを知ったのが,3年生前期.僕が行きたかった研究室は,話が抜群に面白いX先生の研究室.もちろんX先生の研究テーマ(ウェブページの概要くらいの情報量)にも興味を持っていましたが,その研究室を希望した最大の理由は,先生の授業がうまかったからです.そのせいか,学生の間でも人気の研究室でした.なんとかX先生の研究室に入れれば… と淡い期待を抱いていました.

さて,どこの大学にも,学生から絶大な人気を集める研究室があれば,学生から絶対に行きたくないと避けられる不人気の研究室が存在します(実はそのような研究室は,他学部や他学科の学生には人気だったりします).不人気の研究室に飛ばされるのは絶対避けたい.そう思った僕は,3年生前期になって,ようやくテスト勉強にも真剣に取り組むようになりました.しかし,時既に遅し.第1希望の研究室には当然成績のよい学生が配属され,僕は第2希望の研究室に配属されました.第2希望の研究室に希望を出した理由は,はっきりと覚えていません.同じ研究室を第1希望にしていた親友のM君はそつなく授業を受けていたので,華麗に第1希望の研究室に配属されました.

第2希望の研究室に配属されたので,大きな不満はありませんでした.ですが,この研究室でやりたい(研究したい)ことなんて特に考えていませんでしたから,これから自分は何をするんだろうという不安がありました.

研究室に配属されてから,早速研究室メンバーが研究の進捗状況を報告する「研究会」に参加することになりました.2,3週間研究会に参加した後,研究室の教授と個別にミーティングする機会が与えられました.田舎から出てきた学生からすると,大学の教授なんて雲の上の存在です.今でも覚えているのですが,初めてのミーティングは緊張して足がブルブルしていました.教授から「山本君は何がしたいの?何に興味があるの?」と聞かれたので,こういうことに興味があってこんな研究をしてみたいですと伝えました.すると,教授は「ふむふむ,そうなんだ」と答えるだけで,僕の意見に良いとも悪いとも言ってくれませんでした.

それから,卒業研究のテーマを考え始めました.研究テーマを考えてみては1ヶ月おきに研究会で話す,ということを繰り返しました.ですが,教授を含めて研究室のスタッフは,「君はなんでそれをやりたいの?」とか「で,どうしたいの?」とか「○○って言ってるけど,△△は考えてみた?」という問いを繰り返すだけです.誰も「○○してはどうか」「○○の方向性でいいと思うよ」といったことを言ってくれません.僕は今自分がやろうとしていることが正しいのか,まったく分かりませんでした.提案してみたテーマでこのまま進めてよいのかどうか分からず,研究会で発表順がまわってくる度に新しいテーマを提案していました.当時指導教授は超多忙で,ほとんど研究室にはいませんでした.また,手取り足取り指導してくれる他の教員スタッフもいませんでした.まわりの優秀な同期はどんどん研究を進め,実験の準備も進めていく.一方,僕はテーマすら決まらない.

こんな調子が12月くらいまで続きました.卒論発表会は2月なのに,12月までテーマが決まっていなかったのです.誰もGOサインを出してくれない.このままでは卒業できないと思った僕は,とりあえずその時点で考えていた最新のテーマを卒業テーマとし,とりあえず酷いプログラミングを行い,何をやっているのかよく分からない実験を行い,卒論を書き上げました.酷い内容の卒論でした.それでも卒研発表会はなんとか乗り切りました.研究室では,卒論内容を3月の学会で発表する文化がありましたので,僕も沖縄まで行って発表しました.同期が口頭発表する中,自分だけ口頭発表ができずポスター発表をしました.ものすごく惨めな気持ちになり,ポスター発表を終えた後,その場でビリビリにポスターを破いたことを覚えています.

さて,こんな僕でも周りの雰囲気に流されて大学院に進学しました.大学院では,卒論のときのような辛酸をなめたくない.そう思った僕は,研究室でイケイケだった助教の先生に事ある度にミーティングをして欲しいとお願いしました.助教先生は気軽に応じてくれました.それまで僕は,アイデアを考えたはいいものの,それに穴がないかを気にしてドツボに填まっていました.しかし,助教先生は僕がアイデアを出すと「それは面白いね」と言ってくれたので,あまり深く考えずに,とにかくやってみようという姿勢になれました.今思うと,助教先生はあまり深く考えずに「面白い!」と言っていたような気がします(笑).ですが,当時の僕にとっては大変ありがたいことでした.面白いの一言が,研究を前に進める後押しとなりました.

自分が良いと思ったことをしようと開き直ってからは,研究がどんどん進められるようになりました.当時を振り返ると,よくもこんなどうしようもないアイデアを他人様の前で話していたなぁと思います.作りたいものができると,億劫だったプログラミングにも積極的に取り組むようになりました.暇さえあれば,コードを書くようになっていました.不思議なもので,僕が自分が良いと思ってアイデアを発表すると,教授も自分をどんどんサポートしてくれるようになりました(正確に言うと,教授の振る舞いをポジティブに捉えられるようになった).正の循環が回り始めたことで,修士課程は非常に充実したものになりました.

今思うと,研究が辛かった学部生時代,僕は研究の方向性を教員に決めてもらうことを暗に期待していました.しかし,先生方はこれを善しとせず,研究を自分事として捉えるよう辛抱強く促してくださっていたのかもしれません.研究を指導する立場になって思うことですが,斬新なテーマであればあるほど,それが正解か,うまくいくかは分かりません(筋が悪いかどうかくらいは分かります).未踏領域を開拓しようとする研究であればなおのことです.正解がない,うまく行くか分からないのであれば,それをやりきれるかどうかは,取り組む本人の思い次第です.研究を自分事として捉えられなければ,自分が面白いと思えなければ,いずれ必ず遭遇する「山」を乗り越えられません.世の中は分からないことだらけです.学生にはそんな社会に対応できる力を身につけてほしいからこそ,教授や研究室スタッフの方々は「なんでそれをやりたいの?」とか「で,どうしたいの?」という問いを投げかけ続けてくださったのかと思います.

ちなみに,第1志望に配属されたM君ですが,授業から抱いた教授や研究室の印象と研究室配属後に知ることになった教授や研究室の真の姿とのギャップに苦しんだ時期があったそうです.最終的に,M君は教授とも良い関係を築き,納得のいく研究室生活をおくれたそうですが,M君の事例から,授業の印象だけで研究室を選ぶのは間違いであることを学びました.相性は人によって異なりますし,授業が教員の研究や研究室の実態を表しているわけではありません.自分に適した研究室を選ぶためには,やはり自分が何をしたいのか,どうありたいのかをハッキリさせる必要があります.

学部生のときに配属された研究室には,学部生,修士課程,博士課程を通じて合計6年間在籍しました.当初希望していた研究室には配属されませんでしたが,この研究室に配属されて,本当に良かったと思っています.教授に与えられた課題をこなすだけでは,

  • ありたい姿・あるべき状態を自分で考え,それを実現するための課題を自ら解こうとする姿勢
  • 問題解決のために必要なことがあれば,その都度その場で学ぶ姿勢

は決して身につかなかったと思います.


コラム2:何を学ぶべきなのか?

多くの大学が就職予備校になってしまっている今日,大学で身につけるべきは「知識」ではなく「教養」だと思います.教養というと高学歴のインテリが身につけるものと思われるかもしれませんが,東大や京大を卒業した人でも教養のない人はいます.一方で,中卒で教養のある人もいます.

知識と教養は異なるものです.豊富な知識を持っていたとしても,それを使いこなせなければ意味がありません.ましてや,Google検索などを使って知識を外在化できるようになった今日,調べれば見つかる情報や知識を脳内ハードディスクに詰め込んだところで,それだけでは価値になりません.

僕が考える教養とは,自分の内にある知識や経験をもとに,自分の内外に起きている事柄に対して自分なりのストーリーを与える力 です.教養とは言い換えれば「知的肺活量」です.単なる物知りはクイズに答えることはできても,答えがない質問には答えられません.教養のある人は,答えを知らない問題に対しても,自分の内にある知識や経験と対応づけて自分なりの考えを出すことができるでしょう.大学入学以降,学生の皆さんは口酸っぱく言われ続けてきたと思いますが,社会には答えのない問題で溢れています.残念なことに,今日の社会は「用意された解答に正しく答えること,集団の空気に合わせることが善」という価値観が根付いており,自分なりの考えを出す知的訓練があまり行われていません.コロナ禍に象徴されるように,私たちは,今まで善(答え)だと信じていたものが突然変わったり無くなってしまう世に生きています.答えのない状況で自分なりの答えを出すためにも,教養(知的肺活量)が必要となります.

では,どうやったら知的肺活量を鍛えられるか.僕の答えは「知識を入れることから一旦離れ,じっくり考えてみる」です.こういったアプローチでは,答えがすぐに手に入らないので,辛い思いをします.しかし,考えようとしなければ,ストーリーを考える力は身につきません.考えることは時間はかかりますが,うーんうーんと唸ることが知的肺活量を鍛えるには絶対に必要となります.言うなれば,頭の筋トレです.

ショーペンハウエルは「読書について」の中で,以下のように述べています.

読書するとは,自分でものを考えずに,代わりに他人に考えてもらうことだ.他人の心の運びをなぞっているだけだ.(中略)おそろしくたくさん本を読んでいると,何も考えずに暇つぶしができて骨休みにはなるが,自分の頭で考える能力がしだいに失われていく.(中略)本を読んでも,自分の血となり肉となることができるのは,反芻し,じっくり考えたことだけだ.(中略)紙に書き記された思想は,砂地に残された歩行者の足跡以上のものではない.なるほど歩行者がたどった道は見える.だが,歩行者が道すがら何を見たかを知るには,読者が自分の目を用いなければならない.

「知識=教養」だと思っている方にはショッキングかもしれませんが,教養を身につけたいのであれば,本を多読することは一旦止めた方がよいと思います(当然のことながら,本を読まなくてもよい,と言っている訳では決してありません).


コラム3:何のために学ぶのか?

地方国立大学の教員になって,学生に教育することの意義について大いに悩みました.今でも答えを探しているところです.僕が目の前に対峙しているのは,素朴な地方大学生です.大学が就職予備校に成り下がってしまった今日,学びの目的が「就職に役立つ知識を身につけること」だと考える学生は少なくなさそうです.学生に対して「知識ではなく教養を身につけましょう.知的肺活量を鍛えましょう」と言ったところで,インテリの遠吠えだと思われても仕方がないです.

なぜ学ぶことが必要なのか?この問いに答えることができなければ,大学が教育機関として存在する意義がなくなってしまいます.僕が学生の皆さんにやって欲しいこと,それが知的肺活量を高めることであることは間違いありません.ですが,知的肺活量を高めることは手段であり,学びの目的ではありません.では,僕らは何のために学ぶのか?

僕が思う学ぶ目的は「自分の中のズレ,あるいは自分と自分の外の世界(外界)とのズレを認識し埋めるため」です.生きていれば,Googleで検索しても解決策が見つからないモヤモヤに遭遇します.自分の中の矛盾,自分と社会との矛盾.未知の現象,未知の人種,未知の文化,未知の価値観.これらのモヤモヤは,今の自分と対象とのギャップから生じるものです.こういったモヤモヤを解明・解消するためには,自分が持っている知識や価値観と照らし合わせ,自分自身をアップデートしながらギャップを埋める方法を考えなければなりません.

大学を卒業した後も,生きている限り,学ぶことが必要となります.学ぶことの目的が,良い会社に就職すること,給料が良い会社に就職すること,社会的賞賛を得ることであるならば,これら目的が達成された瞬間,学ぶことを止めてよいのでしょうか.大学卒業後には,なかなか答えが見つからないモヤモヤがたくさん降りかかってきます.あなたが変わらなくても周囲や社会が変化することで,あなたと世界の間にギャップが生まれます.また,ギャップを解消するためにあなたがアップデートされることで,また新たなギャップが生まれます.Google検索で答えが見つからないからといって右往左往しないためにも,自分の中に生じるギャップ,自分と自分の外に生じるギャップを認識し埋める(時には受容する)判断・行動すべく,常に知的肺活量を鍛えなければならない― 生きるということは,学び続けること.僕はそう思うのです.

JSAI2020企画セッションで研究成果を発表

2020年6月10日に開催された人工知能学会全国大会(JSAI)2020企画セッション「忘却するWebの実現に向けた認知的・経済的アプローチ」にて,ウェブ検索エンジンのパーソナライゼーションの顕在化が検索閲覧行動に与える影響について発表を行いました.

発表内容は2020年8月にJCDL2020にて発表する内容のダイジェスト版となっております.

研究室紹介用のページを公開

今年度も研究室配属の時期がやってきました.今年はまだ学生へのメッセージを書いていないのですが,研究室紹介イベントに関する最低限の告知はやっておく必要があるので,以下に記します.山本の研究室に関心のある学生さんは,以下のページを見てください.

山本研究室はどんなところ?(外部サイト)

草に埋もれた杭

大学の電灯の草むらの中に,錆びた杭のようなものが埋もれていた.まとまった数の杭が向きを揃えて置かれていることを踏まえると,捨てられたわけではないようである.

ここで何があったかを思い返してみた.学期の始まりには立て看板が立っていたような気がするので,それを固定するために使われたのかもしれない.期間は空くが,立て看板は定期的に立てられるので,毎回の使用したらここに杭を置いては次回使うようにしているのだろうか.

すでに草がけっこう生えているが,夏が来ると来ると結構な量の草が生えてくる.毎年どなたかが草刈りをしてくださっているが,草刈りのタイミングでも杭が片付けられていないことを踏まえると,ここに杭を放置することはここを管理する人々にとっては公然の秘密なのかもしれない.

主成分分析,特異値分解および潜在的意味解析

何度やっても忘れてしまう主成分分析(PCA)と特異値分解(SVD)の関係性.忘れてしまうのは分かっていないから.ということで,再度お勉強.

長らくあやふやにしてきた主成分分析の中心化問題.今回の勉強で「主成分分析では事前にデータを中心化する必要がある」ことがようやく理解した.

なぜ中心化が必要か?それは,主成分分析が重心を中心に元データを回転させることで,新たな軸を見つける操作だから.中心化をしないと,元データは原点を中心に回転されてしまう(注:中心化しなくても,主成分分析っぽい導出はできてしまうが,これではダメなのだ(参考:主成分分析 (2) – 主成分の導出と意味)).これでは主成分分析のコンセプトから逸脱してしまう(この理解に至るまで時間がかかった(参考:回転の中心 – 何を基準に考えるか)).

ちなみに,scikit learnのPCAは事前にデータを中心化しなくても,内部で勝手にデータを中心化してくれるようである.一方で,scikit learnのSVDは,データは自動的に中心化しない.SVDは単なる行列分解手法だから,主成分分析を目的としない特異値分解をしたいときに勝手に中心化されても困る.scikit learnでPCAメソッドを使わずに,SVDを使ってPCAを行うときは,対象となる行列を事前に中心化する必要があることに注意.

なお,文書-単語行列の次元圧縮手法である潜在的意味解析(LSI)もSVDを用いるが,LSIでは元データの中心化は行わない.理由は参考サイトにも書かれているように,文書-単語行列はスパースであるため,中心化すると計算量が膨大になること.また,文書ベクトルの類似度は角度が重要であることから,中心化するとその情報が保存されないことが理由だそう(参考:Latent Semantic Indexing and Data Centering).参考サイトにも書かれていたが,文書行列はもともとスパースなので,各次元の平均値はそもそもゼロに近い.これら理由より,LSIでは中心化は行わないようである.

参考にしたサイトの一覧:

手紙

コロナ禍の過ごし方について学生と雑談をしていたとき,学生Aが興味深い取り組みを語ってくれた.Aさんは大切な人Bさんと手紙を始めたそうだ.なお,Aさんは普段手紙は書かない.手紙を書くのも久方ぶりであるとのこと.AさんとBさんは,緊急事態宣言下で会えないほど遠いところに住んでいるわけでもない.にもかかわらず,手紙を書くことにしたというのだ.良い取り組みだと思った.

新型コロナウィルスの問題で人との接触を避けざるを得なくなった今,コミュニケーションのために多くの人がとったアプローチは「インターネットを使ったビデオ通話」である.確かにZoomやWebEx,あるいはもっと手軽なLINE通話などは,ネットさえあればすぐに起動し,リアルタイムに相手の顔を見ながら話をすることができる.対面では会えないけど,手軽に相手とコミュニケーションをとるには有力な方法だ.

一方で,この手のビデオ通話に疲れも感じてきている.ビデオ通話を使えば,手軽にミーティングができることに気づき,ホイホイと予定にミーティングが追加される.気付けば,3時間連続で6つのミーティングが入っている.目的の決まったビデオ会議は,始まりから終わりまであまり余白がない.そして,対面のコミュニケーションと比べて微妙に足りないものに引っかかりを感じる.ビデオ通話は時間的・空間的距離を縮める.直接会って話をすることができない状況を打破するために,ビデオ通話は可能な限りオフラインコミュニケーションを置き換えようとするが,かえってそれがストレスを感じさせる.

手紙はどうだろうか.届くのに時間がかかる.手紙を読むときに相手の顔が映っているわけでもない.即座に相手に返答をすることもできない.ビデオ通話より伝えられる情報は限られる.明らかに手紙は「今風」のリッチなコミュニケーションは演出できない.しかし,あえて限られたスペースに情報を詰め,あえて時間をかけてコミュニケーションをとる手紙は,1回1回のコミュニケーションを味わい深いものにしてくれる.相手からの手紙を待つ楽しみも生まれる.何を書こうかと考える楽しみも生まれる.

メールやLINE,SNSは,即座にコミュニケーションを取れて便利である.一方で,すぐに反応しないといけない強迫観念にせまられることもある.無駄なコミュニケーションも増えたような気もする,便利さ故に,使う側の精神がすり減っていることも事実である.こんな状況だからこそ,手紙をすることで,時間の使い方・感じ方をゆっくりだが味わい深いものにできるかもしれない.大切なものをより大切に感じられるようになるかもしれない.手紙のスローなインタラクションが一層素敵に思えた.

しりとり

研究室の学生とZoomで絵しりとりをした.割と楽しめたのだが,僕が聞いたこともないルールを学生が使っていたことに驚いた.そのルールとは「1文字OK」である.例えば,「するめ(イカ)」と答えた人がいて,次の回答として「め(眼)」を許すというルールである.

しりとりというゲームは,前の人が言った単語の最後の文字から始まる別の単語を考えて,数珠つなぎのように楽しむゲームだから,前に進まない1文字の回答はナンセンスだし,NGルールだと思っていた.ウェブを調べてみると,そういうルールを設ける場合もあるが,Wikipediaを見る限りでは厳格にルールとして設けられてはいないようである.なんだか納得がいかないw

ところで,Wikipediaを読んでいて面白い情報を見つけた.日本語には「る」で始まる単語が極めて少ないそうだ.そのため,「る」で終わる日本語をたくさん知っておくこと,「る」で始まる外国語の単語をたくさん知っておくことが重要であるそうだ.なるほど.

RTX830とRTX830MB

RTX830が使えない問題について,原因が見つかった.自宅に届いたルーターは,RTX830ではなくRTX830MBだったのだ.RTX1210にはなかったシールが貼られていることは気になっていたのだが,見た目もまったく変わらないし,正確な型番表現にはMBがつくのかもくらいにしか考えてなかった.

どうもこのMBが曲者らしい.調べたところによると,RTX830MBは,第一興商という会社が販売しているカラオケ機器のDAM向けのルーターで,RTX830のOEMだそうだ.問題はファームウェアをDAM用に改造してあること.RTX830のマニュアルに従っても,管理画面に入れないことに合点がいく.某掲示板によると,ある操作をすればRTX830の状態に戻るそうだが,その方法は社内秘だそうだ.

僕がRTX830MBを注文していたのなら確認不足を反省するが,注文明細を見直したところ,確かにRTX830を注文している.問題に気付いたので,すぐに返品センターにものを送ったが,こちらの非で返金できないという結果になったら,たまったもんじゃない.

Remoをテスト

バーチャル会議システムRemoを使って見ることにした.遠隔会議にはZoomを利用しているが,どうしてもプレゼンス感が足りないし,何よりもフラット他人と雑談する気にならない.

Remoは,丸テーブルが複数台並んでいるバンケット会場のようなUIを持っており,同じテーブルに座らないとビデオも音声も使えないという仕掛けが面白い.隣のテーブルに誰がいるかは見えるようになっているので,ちょっと会話を変えてみたいと思えば移動すればよいのだ.

会場全体に話しかけたいときは,画面上部のステージに移動する.そうすれば,各テーブルでの会話を強制終了させ,全体にビデオと音声を届けることができる.

非常に良くできた仕組みになっているのだが,弱点は利用料金が高いこと.なんと月額50ドル.これを使えば研究室メンバー間でのコミュニケーションが増えるのであれば,対面でのコミュニケーションができない今であれば支払うのはやぶさかではない.