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twitterというものが相変わらず分からない

twitterが何で流行っていて,何のためにみんなが使っているかが分からない.

という僕もtwitterを使っているんだが,僕の使用方法はあくまで自分の今やっていることをメモしておこう,くらいの意識でしかやっていない.かといって後でそのメモを読み返そうということは全くしないので,行動メモというのは違うということになる.ちなみにtwitterっていうのはマイクロブログというものの一種らしくWikipediaによると,

ユーザーが短いテキスト(通常200字以下)を書いて、それを公開することを可能にし、誰にでも見られるようにするか限られたグループにだけ見られるようにするかをユーザーが設定できる形態のブログ

だそうだ.僕自身よく分からないが別に他人に何か意見・行動などをtwitterで見せたいとも思っていない.かといって公開範囲を限定しているわけでもない.もちろん誰からかコメントを貰いたいとかそういうのもない.ただ独り言をつぶやきたい.つぶやくことで自分で何かを納得したい,一区切りつけたい,少なくもとも自分がtwitterに書き込むことに関してはこういったところか.他人のtwitterを見る分にはまぁ相手が今何しているのかが分かることは楽しい.これだとROM(Read only member)で十分か.

僕個人のtwitterの使い方に関してはまぁこんな感じだが,全く持って分からないのがfollowerもfollowingもめちゃめちゃ多い人.この人たちは何を目的につぶやいているのか?洪水のように流れている全く知らない人たちのつぶやきを延々と眺めては,自分もひたすらつぶやきまくる.よく分からない.本当によく分からない.あんまりにもやり過ぎている人を見ると,「この人は他人のつぶやきになんとか絡みたがっている人なのかな」とも思ってしまうのだがそうでもないのだろうか?不特定多数の人と適当におしゃべりできる場として考えると,「お,確かにそれはありうる」とも思ったが,それにしてもやっぱり延々とTimelineを眺めているのはおしゃべりしたい以上に何か,必要以上に人と絡みたい,という気持ちを持ってるのかな,と思ってしまう.

Twitterってのは日常の生活の中ではできないコミュニケーションの一つの形だと思う.僕はどっぷりインターネットの世界に入るって事はしていないので,こういうコミュニケーションのやり方は非常に奇妙だが興味深い.

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「悔いはあります」

大リーガー野茂投手が引退の際に言った言葉.日米通じて200勝も上げた投手でも「悔いはありません」とは言わずにあえて,「悔いはあります」というところが野茂さんらしいといえばそうであるが,非常に心にぐっとくる言葉だった.最後2,3年はけがとの戦いで満足に試合に出ることができなかったが,好きな野球のために文句も言わず黙々と練習されていたそうだ.いつか大リーグに戻るのだ,という気持ちで本気でやっていたんだから,そのあたりでも悔いを感じておられるのだろう.ここ1年では代名詞代わりだったトルネード投法を捨ててまで,現役を目指していたそうだ.

多くの人が引き際で「悔いはありません」「思い残すところはありません」というのが普通な中で引き際で「悔いがあります」と言うというのはよっぽど野球が好きなんだろうと思う.「もう限界なのだからぼろぼろになるまで,引き際を伸ばすのはみっともない」というのが一般的な考えである.桑田投手の往年もそういう風に言われ,僕もあー,もうやめたらいいのになぁ,なんて思っていたが,外部からそう言われても好きだからずっとやりたいって思いを純粋に持ち続けられるのは本当に素晴らしいなと思う.

外部の声なんかに紛らわされないくらい「本当に好きなこと」を出来る人は幸せだ.僕もそういうことをやって人生を全うしたいなと思う.

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コミュニケーションとしての写真の力

僕が積極的に使っているiPhoneアプリにPhotoShareというものがある.これは撮った写真を簡単にWeb上にUPして,それをみんなで共有するというもの.サービスとしてはFlickrが近いが,iPhoneに特化しているところがポイントかな.iPhoneはいつでもインターネットと繋がっているし,カメラも内蔵されているから,僕はこれをライフログ代わりに使おうと考え毎日ことある度に写真をとってはPhotoShareにアップしている.

 

さてこのPhotoShare,サービスがまだ始まったばかりだし,使っているのはiPhoneユーザがほとんどだろう.みんな同じiPhoneユーザだと思うと親近感がわく.僕と同じようにライフログとして使っている人も多いのでということで非常に他者とのつながりのようなものを感じる.ここでは写真を介して他のユーザと繋がっている.これが非常に良いコミュニケーションツールになっている気がする.

 

写真って言うのはユーザの行動,生活を視覚的に伝えてくれるメディアだ.文章だと言語の壁があるが,写真って言うのは正直言語の壁を越えて言いたいことを伝えられる.掲載した画像はPhotoShareにUPした僕の画像へのコメントであるが,日本人だけでなく外国人もコメントをしてくれる.こういうのは文章じゃなかなか難しい.自分の言いたいことを好き勝手に言うツールとしてはtwitterなんかがあるけど,PhotoShareの方がはるかに面白い.

画像の方が文章よりも分かりやすいし情報量も多いし,言語の壁も無いので弱いコミュニケーションツールとしては最適だな,と思った.
 

P.S.
何人かの知り合いにメールアドレスの変更願をテストで送ったのだが,機種によってはパソコンアドレスのようなものから送られたメールを弾くという機能があるらしい.届いているかが心配だし,これから新メールアドレスをお伝えする方々に届けられるかがより心配..

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スケジュールを立てること

スケジュールを立てるといっても,立てるだけで終わっては意味がない.スケジューリングというものは目標を達成するために立てるものなのだから.僕は中学,高校,浪人時代と趣味と言っていいほどスケジューリングをしていた.その頃はスケジューリングの目的といっても定期試験や○○統一模試とかそういう類のものあった.この時期までにはこれが出来ていないとだめ,そのためには遡ってこの時期にはこの技術をたたき込んで置かないとだめだなぁ,といった感じで,今思うと我ながらなかなか学生なりにきちんとしたスケジューリングをしていたし,またそれにそってきちんと目標を達成できていたと思う.

さて,今はどうか.趣味,友達との予定,研究室の色んなプロジェクト,研究室外でのプロジェクト,など受験生時代とは比べて抱えているタスクの量も多いし,そこに生じる責任の重さは昔と比べものにならない.受験生時代なんかは言っても失敗したら自分が悪いで済んだが,特にプロジェクトなんかの中にいたら「できませんでした」では済まない.そういう風にならないためにも,タスクが多い中でのスケジューリングはきわめて重要だと思う.

スケジューリングを立てても実際にはそれ通りにはうまく行かないのが常であるが,それを見越して余裕をもったスケジュールを立てる必要があるのは言うまでもない.それを大前提においた上で僕がスケジュールを立てる上で最低限押さえないと行けないと思っていることは

  • 各行程でどの程度時間がどの程度時間が取られるかを見積もること(単純に時間のかかるものはどれ?)
  • どの行程が一番重要かをしっかり見定めること(時間をかけて精密さをあげる必要があるのはどれ?)
  • 自分がこのスケジュールが達成できると勝手に思いこんでいないかを客観的にチェック
である.至極単純なものであるが,これを考えれば少なくとも多少はまともなスケジューリングをすることはないと自分に言い聞かせている.最終的に目標が達成できるスケジューリングでなければ意味がないことさえちゃんと意識していれば,スケジュール立てるだけで満足,人様が見て「こんなあほなスケジュールあるか,できる訳がない」ということにはならないと思う.そういう意味では3番目を確認するために第三者にチェックしてもらうのは重要だと思う.勝手に「出来る」と思いこんでいること自体がまず失敗のもとだろう.早い時期に冷静にスケジューリングできる人に見てもらうのがベストかと.
Why am I writing this entry?
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WordPressの表示がくずれるから

自作のWordPressスキンがチューニング不足のせいもあって,
表示が異常に崩れるという事態がずっとつづいていた.
このせいでブログを書くモチベーションも上がらなかったので,
自分のを使うのをあきらめて人様のを利用させてもらうことにしました.

これでやっと書ける.
あとはiPhoneのWordPressアプリに書きたまっている記事を
どうやってUPするか.こちらは日本語をUPしようとすると
落ちるバグをアプリ開発者側が修正しない限りは対応できない
ので基本的には待ちです. 

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