2025年度に研究室配属される学生の皆さんへ(読了時間10-15分)

3年生の皆さん

こんにちは.山本です.3年次も後期折り返し地点を迎え,いよいよ研究室配属の時期となりましたね.これから皆さんは研究室活動(研究室によってはゼミ活動と呼ぶことも)を行うことになります.

以前僕の研究室説明会に参加してくださった学生さんには少し説明をしましたが,研究室活動はこれまでの授業とは大きく異なります.研究室活動は,単なる知識だけでなく,皆さんが今まで出会ったことのない考え方や新たな価値観に触れる機会でもあります(※ どんなことを学び,経験できるかは,配属される研究室によって大きく変わります).

これから皆さんは大学を卒業するまで約1年,修士課程まで進む人は約3年間,研究室活動に取り組むことになりますが,この期間,皆さんにはたっぷり時間があります.だからこそ,せっかくなので知識を学ぶだけでなく,色々なことを考え,自分と向き合うことに時間を使ってほしいと思っています.

そこで,この文章では,皆さんが研究室に入って大学を卒業するまでの間に考えてほしいことを3つ取り上げます.これら3つは,不確実な時代において,皆さんがより良く生き,より良い社会を築いていくための小さなきっかけになればと思っています.僕の研究室に配属予定の人もそうでない人も,いつか一度は考えてほしいことですので,お手すきの時にでも目を通してください.

なお,「研究室配属される皆さんへ」のメッセージは,僕が研究室を運営していたときは毎年書いていました.毎年違う内容となっているため,過去のものに興味がある方は以下のリンク先にある「学生へのメッセージ」をご覧ください.

学生へのメッセージ集

生成AIによる1分要約

1. アイデンティティー:「あなたにとってのデータサイエンスとは何か?」
学際的でつかみどころがないデータサイエンス領域では,誰かから与えられる定義ではなく,「自分で作り上げる知識」,つまり自分なりの「中心」を持つことが極めて重要です.この「中心」が,知識やスキルを「生きた」アウトプットに変えます.研究活動を通じ,「何を大事にしたいか」という視点から,皆さんにとってのデータサイエンスを見つけてください.

2. 責任:「与える側になる積極的な責任」
皆さんは大学卒業後,社会に対して価値を「与える側」にシフトします.名市大生は優秀であり,世の中を引っ張っていく素質を持っています.卒業研究は,まだ解決されていない課題を「自分事」として捉え,解決策を模索する,社会に何かを「与える」ための実践的練習です.自分が世の中に対して影響を与えられる存在になるという「責任」を,前向きに背負ってください.

3. 方向感覚:「濃霧の中の方向感覚」
これからの先行きが読めないVUCAの時代では,知識やスキルよりも「何をやるべきで,何をやらないべきか」を判断する力,つまり「濃霧の中の方向感覚」が重要になります.答えがない場面で自ら答えを作り出すこのメタスキルは,一つのことに徹底的に向き合える卒業研究を通じてこそ磨かれます.

その1: アイデンティティー

これまで皆さんはデータサイエンス学部生として3年間様々な授業を受けてきました.そこで質問です.「データサイエンス」とは何でしょうか?皆さんにとっての「データサイエンス」とは何ですか?

突然こんなことを聞かれても困るかもしれません.データサイエンスが何たるか,誰もはっきり教えてくれなかった.教員によってデータサイエンスの定義が異なるから今も混乱している —— そう考える学生さんもいるかもしれません.

皆さんは名古屋市立大学データサイエンス学部の1期生であり,受けている教育プログラムも鋭意模索中で揺れも大きい.その意味では,「あなたにとってのデータサイエンスとは何?」という質問は酷かもしれません.しかし,学際領域であり,扱うものが多様で,つかみどころがない(しかもカタカナ言葉の!)データサイエンス領域で「学士(データサイエンス)」の学位を取得しようとしている皆さん.先の質問が酷だとしても,皆さんが将来,外部の承認に依存せず,自分自身で世の中と関わり,生きていけるようになるためには,自分にとってのデータサイエンスを見つけ,語れるようになることは重要です.

データサイエンス学部は,データサイエンスに関する教育コンテンツを提供してくれる.だから,データサイエンス学部に入れば,データサイエンスに関する一連の知識やスキルを自分の中にインストールすることができる —— そう考えていた学生さんもいることでしょう.たしかに,データサイエンス学部の教育を受ければ,データサイエンス活動で使う知識やテクニックに触れることはできるでしょう.しかし,皆さんも気付いているかもしれませんが,そういったものの多くは統計学やコンピュータ科学の分野でも学べることであり,「それってデータサイエンスなの?」と問われれば答えに困るのではないでしょうか.

データサイエンスは応用的な学問として位置づけられていますから,データサイエンス系学部で提供されている科目は,データサイエンスを実践する上で役立つと思われるトピックを他分野から構成することになります.これらの科目群は,多角的な視点を提供する基盤になり得ますが,「中心が見えにくい寄せ集め」のように感じられることもあるかもしれません.

では,どう考えたら良いのか.データサイエンスのように中心が定まらないような学際的あるいは実践的な学問領域ほど,誰かから与えられる知識よりも,多様な知識の中から取捨選択を行い,「自ら再構築した知識」に意味があると思います.総花的に科目を履修しても,個別の知識やスキルが身につくだけで,自分の中でデータサイエンスの「中心」が育たない.「中心」がないと知識やスキルを通して出てくるものが薄っぺらい.逆に「中心」があれば,知識やスキルの幅が狭かったとしても,「生きた」アウトプットを出せるようになります.大抵の知的タスクなら生成AIが人間の代わりに処理してくれる時代が到来しつつあるこのご時世なら尚更,自分の中に「中心」を持つことが重要になります.

どんなトピックを学んだかよりも,それらを通じて皆さんが「何を大事にしたい」と思うようになったか?今後皆さんが社会と関わり,決断し,価値を生み出していくには,この問いへの答えが大事になります.今は難しいかもしれませんが,研究室活動を通じて「皆さんにとってのデータサイエンス」を見つけてみてください.

その2: 責任

考えてほしいことの2つ目は「責任を持つ」です.大人になるにつれ「責任」という言葉を耳にすることが増えますが,ここで取り上げる「責任」は「自由にやってもいいけど自己責任でお願いします」という文脈で語られるような,自由を得るために払うべき対価(リスク)や義務としての責任ではありません.僕が皆さんに考えてもらいたいのは,「積極的かつ前向きに背負ってほしい責任」です.

これまで皆さんは保護者をはじめとする大人から守られてきたと思いますが,大学を卒業し社会人になることで,労働を通じて「与える側」にシフトします.困っている人を助けたり,生活に必要なものを作ったり,今までなかった新しいサービスを開発したりなどなど.こういった行為は誰か,そして社会に価値を与えています.そして,今皆さんが接している社会や文化は,多くの無名の人々が行ってきた小さな小さな「与える」行為の積み重ねでできあがっています.まだ社会人になっていない皆さんにとって,働くというのは「みんながいずれすること」「生活のための手段」「自己実現の手段」といったイメージがあるかしれませんが,働くことは誰かに対して「与える」ことであり,結果として世の中に(大小の)影響が現れます.大げさな言い方に聞こえるかもしれませんが,皆さんは将来,誰か,社会,未来に対して影響を与えられる存在になり得ます.誰かに何かを与えられる力が皆さんにも確実にあるのです.皆さんにはこのことを前向きに捉え,「与える側になる責任」を少しずつ意識してみてください.

自分が世の中に影響を与えられる存在になれるわけない,そう思った学生さんもいらっしゃると思いますが,皆さんは十分その素養を持っています.大学で行われたある講演会で,世代研究がご専門の先生が次のように語られていました.「名市大生は(就職活動において)地元志向が強い.地元を愛することは良いことだが,地元の外で働くこと,多様な業種に目を向けることなく,地元志向になっている学生も少なくない.学力的に全国水準でも上の層にいるからこそ,選択肢を最初から絞ってしまうのは勿体ない」.

僕も同じようなことを感じています.これまで名市大で3年間学生を見てきましたが,データサイエンス学部の学生さんは,一般的な学生(あるいは社会人)と比べても地頭は優秀です.磨けば,世の中を引っ張っていくような人材になり得る素質をもっていると感じています.その一方,他の有名な大学の学生と比べ,名市大の学生に足りていないもののひとつは「世の中に対して自分たちが何かやってやろう」という気概と「自分も何かできるだろう」という,いい意味での根拠のない自信です.

これから皆さんが取り組む卒業研究は(少なくとも山本の研究室においては),大なり小なりまだ解決されていない課題を「自分事」として捉え,皆さんが自分の力で解決策を模索する活動です.学生が取り組む研究であっても,その内容は社会に対して何らかの知見を与え,影響を与えることが可能です.大学研究室での卒業研究は,これから皆さんが社会に何かを「与える」ための実践的練習でもあります.研究活動の中で,自分が世の中とつながって「与える存在」になるということ,社会に対して積極的に責任を負うということをちょっとずつ意識し始めてもらえると嬉しいです.

その3: 方向感覚

僕が敬愛する哲学者の一人である鷲田清一さんがその著書の中で,これからの社会で生きていくためには「濃霧の中の方向感覚」が必要と述べられています.これは簡単に言うと「やるべきこと,やったほうがよいこと,やるべきではないことを判断する力」です.今後皆さんにはこの濃霧の中の方向感覚を是非磨いてほしいと思います.

今の学生の中には,専門的な知識やスキルを学べば課題解決できる,あるいはどこかに誰かが編み出した答えがあるのだから探せばよいと思っている人もいませんか.もっと極端な人であれば,Google検索やChatGPTを使いこなす力の方が重要だと考えるかもしれない.だから,「濃霧の中の方向感覚」なんかは研究者ではない自分には必要ない.

そんなことはありません.研究者であろうとなかろうと,どんな人であろうとも,人生,答えがない場面に遭遇することがたくさんあります.同じような課題であっても,その課題に接する人,課題が置かれている状況,文化によって適切な解が異なる場合もあります.そのようなケースでは,自ら答えを作り出す必要があります.今日,VUCAの時代に入ったなんて言われていますが,これから皆さんが生きていくのは,変化が激しく先行きが読めない社会です.これまでの常識が通用しないからこそ,何をやるべきで,何をやらないべきかを判断する「濃霧の中の方向感覚」が重要となります.この感覚は,ものごとを批判的に捉え本質を見いだそうとする研究活動で培えます.一生のうちでも,徹底的に1つのことに向き合える機会が卒業研究です.専門的な知識やスキルの獲得も大事ですが,集中できる時間があるからこそ,むしろ「濃霧の中の方向感覚」のようなメタスキルを磨くことを大事にしてください.専門的な知識やスキルは社会に出てからでも十分に学べます.

おわりに

書き始めるとずいぶん長い文章になってしまったので,読むのも大変だったと思います.「アイデンティティー」「責任」「濃霧の中の方向感覚」の確立は重い話に聞こえたかもしれませんが,この話は未来社会に対する皆さんの寄与を期待するものでありつつも,皆さんが今後の人生をより良く生きる,楽しく生きるためのヒントでもあります.僕の研究室に配属されなかったとしても,今回の話が心のどこかに残ってくれたら幸いです.僕の研究室に配属された学生さんは,少しずつで良いので一緒に考えられると嬉しいです.

余談

皆さんが自分にとってのデータサイエンスが何であるかという問いに悩むように,実は僕も学生時代に同じような問いに悩みました.大学院生時代,僕は情報学という学問を専攻していました.世間的には,情報学もデータサイエンスと同じくらいつかみ所がない学問であり,大学カリキュラムの中では多様なトピックが展開されています.そんな中,僕は「情報学とは何なのか?」「一体自分は大学院まで行って情報学専攻で何を学んだといえるのか?」と悩みました.結果的には,研究活動を通じて「自分なりの情報学」を見つけました.僕にとっての情報学はいわゆる情報学を包含するものでもない.「お前の情報学は自分の情報学の定義と異なる」と言われるかもしれません.それでも,自分なりの情報学が見つかったことで,今の自分があります.