今年も卒論シーズンがやってきた.静岡大学に移ってから数年経つが,年々学生数が増加し論文指導に首が回らなくなってきたため,明治大学の中村聡史先生の取り組みを参考に,論文執筆のためのチェックリストを作成してみた.チェックリストの中身も重要だが,これを使って学生同士でチェックし合ってからでないと教員はチェックしないという仕組みも重要かと思う.
作成したチェックリストは分量が多いので,様子を見ながら適宜内容を調整するようにしたい.
気づきの情報インタラクションデザインの研究をしている人
今年も卒論シーズンがやってきた.静岡大学に移ってから数年経つが,年々学生数が増加し論文指導に首が回らなくなってきたため,明治大学の中村聡史先生の取り組みを参考に,論文執筆のためのチェックリストを作成してみた.チェックリストの中身も重要だが,これを使って学生同士でチェックし合ってからでないと教員はチェックしないという仕組みも重要かと思う.
作成したチェックリストは分量が多いので,様子を見ながら適宜内容を調整するようにしたい.
研究室の学生に具体と抽象の話を学んでもらう材料を探しのために,Amazonで高評価を集めていた「具体と抽象(細谷功著)」を読んだ.
内容は「具体」と「抽象」の意味やその特性を,実例をもって分かりやすく語るというも.本自体が具体と抽象を行き来する構成となっている.
オブジェクト指向を学んでいれば,本の内容のほとんどはそれのエッセンスであることに気付く.ただし,オブジェクト指向を「クラスや継承,カプセル化とか使うプログラミングの手法」としか見れてない人は,この本を読んでも「具体と抽象」とは何かが分からないだろうなと思う.
具体と抽象の話が分かる人にとっては,本書の内容はそれほど新鮮ではないが,個人的に得るものがあったのは「具体と抽象が分からない人とのつきあい方」に関する章である.具体の世界で生きている人に本質を抽出した抽象論の話をしても,「曖昧なことを言っていて分かりにくい」と思われてしまう.そもそも,具体の世界でのみ生きている人は,具体と抽象を行き来することが難しい.そのため,具体とセットとしてその抽象の話をしても,その間の関係性が捉えられない.分かりやすく具体と抽象をセットに話していたとしても,別のことを話しているとすら思われてしまうのである.具体を豊富にしても,抽象を捉えられなければ,具体のみで生きる人と抽象の世界と行き来している人の間を埋めることはできない.ジレンマである.
本書を読んで誤解を受けそうだなと思ったのが,「抽象度と本質度の関係」である.本書では抽象的にものごとを考えること(プラス,具体と抽象の行き来)の重要性を説いているため,どうしても「抽象化は素晴らしい」「抽象化された内容は本質を捉えている」という印象を与えてしまう.しかし,抽象度と本質度(価値)はイコールではない.抽象的でも本質的でない事柄は存在する.抽象度を上げすぎて,当たり前のことしか言えていないケースもちょくちょく遭遇する.一方で,具体的でも本質につながることは存在する.
(これは本書でも述べられているが)そもそも,具体と抽象は相対的な関係である.重要なことは,具体と抽象を行き来しながら,適切なレベルで抽象化を行い,その中から議論の価値がある本質的な事柄を選べるかだと思う.
学生とミーティングをしていたときのこと.学生の提案内容が本質的でなかったので,そのことを指摘したところ,「抽象化したつもりだったのですが…」と言われた.この学生は「抽象的 = 本質的」だと思っていたようである.
言わずもがな,抽象度と本質度は独立した概念である.抽象的であっても本質的でないことはたくさんあるし,具体的で本質的な意見もたくさんある.どうしてこのような勘違いにいたったのだろうか?
何をもって本質的であると考えるかは,対象となる問題を理解できているかが重要と思われる.問題の理解には具体と抽象の行き来も必要.本質的であることと抽象的であることが違うということが分かってないとすると,具体と抽象の違いの理解も怪しそう.そうなると,問題の理解にはまだまだいたらなさそう.
資産管理のために,銀行口座や証券口座の残高変動のログを記録しようとZaim APIを触り始めた.PythonからZaim APIを利用し,取得したデータをGoogle Spreadsheetに記録し続ける,ということを想定していたのだが,痛いことに気付いた.Zaim APIで取得できるデータは「銀行口座」に限るようだ.証券口座のデータにはアクセスできない.
証券口座の商品の変動こそ記録に残しておきたかった. Zaimのアプリ本体では,銀行,証券,クレジットカードの種類に限らず,どれでもデータが見れるので,問題ないと思っていたのだが… 結局証券のウェブサイトをスクレイピングして… ということになりそう.
研究室メンバーである鈴木雅貴君(修士1年生)の研究成果として,下記の論文がThe 22nd International Conference on Information Integration and Web-based Applications & Services (iiWAS2020) に採択されました.
Masaki Suzuki and Yusuke Yamamoto: Analysis of Relationship between Confirmation Bias and Web Search BehaviorProceedings of the 22nd International Conference on Information Integration and Web-based Applications & Services (iiWAS2020) , Chiang Mai, Thailand, November 2020.
後日,詳細な書誌情報を掲載する予定です.
とある方に,Twitterに「テレキャスター警察」というハッシュタグがあることを教えてもらった.色はバタースコッチもしくはサンバースト,ピックアップはシングルコイルのみを是として,それ以外のテレキャスターを「違法」として切っていくハッシュタグである.まったく知らなかった.
過去の投稿を眺めてみると,多種多様な驚きテレキャスターがたくさん掲載されている.ピックアップをハムバッカーに変えたテレキャスターなんて甘い方.中には「えん罪」じゃなかろうかというギターもあったり.なかなか楽しめるコンテンツだった.
鴨江珈琲さんで「人と情報技術のなじみがとれた社会を実現するには? 〜「AI(笑)」をコーヒーのお供にして」というタイトルでトークしてきました.鴨江珈琲さんは出張店舗で豆を購入したことはあってもお店に行ったことがなかったので,お店でトークすることを楽しみにしていました.
肝心のイベントではもともと10名程度のお客さんとトークすることを目的としていたのですが,ちょうど10名くらいお客さんに集まっていただき,濃密なお話ができて良かったです.
実験的なイベントでしたが,近いうちに第2弾が開催できればと思っています.
大学生のときに,Fender USA テレキャスター52年レプリカを購入した.そのギターについて,衝撃的な事実に気付いた.知っている人からすると,なぜ今それに気付くのかと思う内容であろう.
テレキャスターといえば,ジャキジャキとした音が魅力的なギター.山下達郎さん好きとしては,テレキャスターによるカッティングがたまらない.
ということで,あの音で演奏したくてテレキャスターを使うわけだが,購入したときから,あの音が出せなく悩んでいた.フロントピックアップの音がどうしても納得がいかない.なんとか音を近づけようと,弦を替えたりピックをかえたりアンプの音作りを変えてみたりと,いろんな工夫をしてきた.しかし,状況はまったく改善されず.ギターには個体差があるので,それが原因,それも個性だと受け入れてきた.
購入から10数年たった今日,問題の原因はコンデンサーではないかとふと思った.テレキャスターの高音ジャキジャキを活かすために,コンデンサに工夫を凝らすことが知られている.僕のギターもコンデンサをつけかえれば音が変わるのでは,そう思うに至った.
そこで,ギターの型番をちゃんと調べて,あらためて配線をしらべたところ,衝撃的な事実が判明.僕のもっている52年製テレキャスターは,よくあるピックアップセレクターとは全然異なる配線になっていたのである.普通は,3段階のセレクタであれば,
を使う設定になっている.ところが,52年製テレキャスターは,
という設定なのである.フロントピックアップのもこもこした音はこれが原因であった.真ん中のピックアップセレクタの音が一番お気に入りを出していたのだが,まさにそれが僕が求めていた音が出る設定だったのである.
こんなことはテレキャスター好きからしたら常識かと思われるので,なんと恥ずかしいことか.購入時の説明書袋を開けてみると,「ビンテージタイプ配線」から「スタンダートタイプ配線」に戻す方法が書かれた紙が入っているし,変更のために必要となるコンデンサまでご丁寧に同封されている.
これに10何年間も気付かない馬鹿な僕.でも,謎が解けてすっきりした.
村山聖さんの一生について書かれた「聖の青春」を読んだ.村山聖さんの歴史を知りたくて読み始めたのだが,岡本太郎氏の「自分の中に毒を持て」と同じくらい,生きるとは何かを根っこから考えさせる本だった.以下,引用.一番印象的だったのは以下の文.
人間は悲しみ、苦しむために生まれた。 それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれたい。(大崎善生著「聖の青春」より)
次の文は一番印象に残ったわけではないが,読みかえると研究にも役立つので,ここに残しておく.
定跡の学習や、終盤力の強化はもちろん必要である。しかし、それは将棋の本質からは二義的なものなのである。では一義は何か。それは生きるか死ぬか、殺すか殺されるか。(大崎善生著「聖の青春」より)
これを以下のように読みかえる.
最新のテクニックや実験手法の学習,論文の書き方の強化はもちろん必要である.しかし,それは研究の本質からは二義的なものなのである.では,一義は何か.それは「未踏」であるか.デルタ研究に墜ちてないか.
現在,藤井聡太2冠を含め,渡辺名人,豊島竜王,永瀬2冠と若手棋士が大活躍しているが,その中で今年50歳の羽生善治さんがレーティング6位で奮闘しているのがすごい.もし同年代の村山聖さんが生きておられたら,今の将棋界の勢力図がどうなっていたのだろうか.藤井聡太さんと村山聖さんの戦い,見たかったなぁ…